青春の罪と向き合えますか?重い、痛い、苦しい。 明日、君がいない  ムラーリ・K・タルリ

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映画 その他
『明日、君がいない』 予告編
  • 青春の美徳にうんざり気味、もしくは抵抗感のある方
  • ドロドロの人間関係が好きな方
  • 追い詰められるという意味を知りたい方

※注意事項

やや過激な表現が含まれます。それなりの覚悟のある方のみ閲覧ください。

ちょっと映画の画像を使うのは著作権的に危ないので予告編を貼らせて頂く形とします。こちらも問題があれば修正します。

青春

これ以上ポジティブな響きもありません。

某飲料水のCMみたいな青空の中、暑い男女の爽やかな関係……まあ世界中の何%が送れるのかなんてわかりません。もし、わかる方がいたら情報待ってます。

とはいえ、メディアが見せる偶像のような青春はなくても、それなりに仲間たちと巡り会えたり、楽しいことを見つけたりとあとから思い返せば素晴らしい思い出ばかりと言えるものも青春と呼ぶには十分すぎますね。

そしてそれを周りのみんなもそんな生活を送ったと想像する方が多いみたいです。

正直、永遠の謎です。

これだけいじめ問題、引きこもり問題、その他etcetc……色々あるのに、なぜ輝かしい青春時代が均等に与えられると思い込むのでしょうか。学生時代が嫌で仕方なかった人なんて1割2割の話ではないと思うのです。(流石に半分とは言いませんが)

過去を正当化させたいということで昔を強引に美化するという話もありますが、人に押し付けたり無用に隠したりして見栄をはるほど青春は絶対に守らなければならないものなのでしょうか。

さて、今回の映画ですが、青春という偶像を破壊するほどの一撃を秘めた作品です。悩みと言うにはあまりにも重く、無邪気というにはあまりにも残酷で、思い出と片付けるのはあまりにも傷の深い物語です。

とはいえ、あくまで青春はテーマの一つでもあり、他にマイナーであること悩み、学生の様々な問題、そして、題名の通りのものがテーマです。

正直あまりにも、痛々しいお話です。

あらすじ

とある学校の風景。

開かない扉。

必死に扉を開けるように泣き叫ぶ生徒。

そして怒鳴る教員。

中から滴る惨劇の証……。

悲劇は今に起きたのではなく、様々な要因が重なり、今に続いたのです。

おそすぎた?

いいえ、違います。

誰も聞かなかったのです。

悩みというにはあまりに重い生徒たちの闇

プロローグであるあらすじが終わったあと、主な登場人物たちの話になりますが、正直、非常に難しく、厳しい問題です。

エピソードによって生徒たちが傷ついたり、重い価値観を背負っていたりする中で、それぞれの思いがエピソードとして語られます。一人の話だけでも一つのメッセージが強いのにそれを6人分続けられるのでかなり深刻です。

悩みも痛みも解決するきざしは全くなく、周囲の冷たい視線や、事情を知らない無慈悲な言葉が彼らに襲いかかり続けます。

学校の教師も右往左往、あるいは全く理解できないか、中途半端に理解しようとしてよりドツボにハマったり、あるいは他の生徒に集中する他ありません。とはいえ、誰が解決できるのかというのもまた、わかりません。

残酷なことに、ゆっくり、少しずつ、近づいていくのです。

すごいところは同じシーンを違う登場人物の目線でなんどかくりかえすことです。違った描写を見せるという目的の他に、悩みを何度も繰り返し刷り込ませるという技術が感じられました。

これはあとに述べる、他人の悩みの観点にもつながると思います。

同じ苦しみはあっても同じ悩みはない、同じ解決法なんてない。

受け入れるも絶望、受け入れないのも絶望。

物事に対する捉え方や、解決方法は人によって異なり、それはどうにもならないようなことでも同じです。家族環境や、本人の才能、周囲の目、あるいはもっと大きな何かによって苦しみは良くも悪くも形を変えます。

半端に選択肢があると余計に人は混乱し、自分以外の答えを持った人を場合によっては敵とみなすことさえあります。

人生に答えはないといいますが、間違いがないわけでもなく、そして自分が選んだ答えが間違いか正解かもやはり自己判断、あるいは他者に押し付けられた自己判断で決めるしかないのです。

そして、正解か、間違いかをどのように受け止めるかもまた、変わってくるわけで……。

つまり、同じような原因や出来事だったとしても、同じ悩みになることはほぼないと言っていいでしょう。

解決法を単純にテンプレート化できるものではないのです。

結局他人の悩みとは

はっきりいいましょう。

この映画に思いやりの要素は非常に少ないです。無神経、残酷さ、悪意、無理解などが非常に詰まっています。それは主要人物同士でも例外ではありません。

救いはどこにでもあるという明るい言葉がありますが、つまり、それを言っているあなたは救わない、もしくは救えないという意味でもあります。

冷酷だからではありません。

自分のことで精一杯の事が多いからです。(登場人物の一人もある場面で言っています)

庇ったら自分もターゲットにされる、助けたら自分も変な目で見られる、救ったら責任問題を問われる。人助けできる人なんてまず、いないと考えたほうがいいです。もしいたとしたら、並大抵の覚悟では済まないでしょう。私も自分の面で置きかえてみました。

当事者だったら誰かに助けを乞えるでしょうか。

傍観者だったら助けようと動くことはできるでしょうか。

もしできるとしたら方法は一つだけです。

他人の悩みを自分にとって軽いものから重いものにするには自分を巻き込むしかないのです。それがどれだけ厳しいことであっても

こうしてブログで語っているだけでも、少々軽く見ているのかなと考えるぐらいには、やはり当事者では重い問題なのです。

総評

生々しいシーンや痛々しいシーンが多く、メッセージ性の非常に強い映画でした。

しかし、まあ、正直、これだけの悪夢をみてもなお、青春を美徳化する動きは止まらないんだろうなあと思います。青春の鉄壁さは多分世界が滅びてもそのままなんだろうなあとネガティブ人間としては諦観しています。

もっともそれが悪いことと思っているかというとそうではありません。青春は理想の完成形の一つと言えますし、大きなエネルギーを秘めているというのも間違っていません。

青春が罪深いものだから自重しろとか、もっと反省して生きろというつもりはありません。もしあなたが過去の青春をいいものだったと思いたい方に私が言いたいのは唯一です。

”青春”という世界の偶像ではなく”あなたの青春”という思い出をもっと大切にしてください

誰にでもあるものではなく、ただ、あなたのものを。

彼らみたいに、そして、彼らほどではないですが、私みたいに、どう頑張っても、受け入れようとしてもできないことがあるのですから。

課題

  • 1:この映画はミステリーな側面もありますが、正直あまり紹介したくない要素なので外しました。どうしてなのかは見ながら、(もしくは事前情報で)推察してみてください。
  • 2:上記で紹介した同じ悩みとはどういうものだったのか、探す……のは自然にわかると思うので、登場人物(6人)が一通り出たあとで事前に考えてみてください。

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