https://ja.wikipedia.org/wiki/2012_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
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明日、世界が終わります。みなさんさようなら。
まあ、もちろん冗談ですけど。
よくある話で、明日世界が終わったらどうする?とか、何する?とかいう質問を聞きますね。
しかし、実際に明日に世界が終わるとなったら誰かが意図的に破滅をもたらさないか、あるいは今まで数々の予言を的中していた人が急に宣言しない限りはこんな宣告はないでしょう。少なくとも、国はパニックを恐れてしないと考えていたほうが良さそうですね。
もっと言うなら優秀で数少ない人間だけを集めて安全地帯に避難する、ということを、まあ、人道とか道徳とかは置いといて、人類全体で見るなら考えるのが自然であり、国としてはそういった方針で動きたがるでしょうね。。ちょうど今コロナ禍ですが、本当か嘘かは置いといて「どこどこの国の上の人間だけワクチンを摂取している」なんてことを聞いても正直納得してしまうのが悲しい話です。
さて、今回のお話ですが、世界の終わりを理解してしまい、立場と人情で揺れ動く一人の科学者、そして、本来宣告されるはずのなかった世界の終わりをたまたま知ってしまった訳ありの男の二人の物語です。
まあタイトルからわかるかもしれませんが、2012年に来るかもしれない破滅の話なのでちょっと緊張感は薄れますが。
あらすじ
最初はとある天才科学者のサトナムが地殻変動に異常に気づき、さらにそれが予定より遥かに早く来ることに気づくシーンから始まります。
そして、世界の代表たちが水面下で動き出します。そう、国民たちには秘密を教えず、知るべき人たちだけ、選ばれた人だけが滅亡を知り、逃げる準備を始めていたのです。
当然、この功績を讃えられ、逃げる権利を与えられたサトナムですが、親友や両親、家族のことを考え、葛藤します。
一方、世界の危機など知ることもなければ、選ばれるはずもない売れない小説家で、バツイチのジャクソンという男がいました。ジャクソンは別れた妻の子どもたちと一緒にピクニックをしていると、仰々しい施設を見てしまい、そしてさらに変人から世界滅亡の話を聞いてしまいました。もちろん、最初は笑い飛ばし、日々の生活を送っていましたが、身近にいた逃げ出す金持ち、徐々に起こり出す自然災害、そしてどこか直感のようなものが彼を動かしました。
しかし、全てはそのときにもう始まっていたのです。
極限の葛藤
世界滅亡を誰よりもよく知るサトナムは助かる可能性が一番高い場所にいることを理解しつつ、そのことに葛藤し続けます。
助けられる人を見捨てていいのか、今助けられる人たちを捨ててまでなにか知らせるべきなのか。最後の瞬間は絶望で終わらせる権利が自分にはあるのか。上司になだめられたりけなされたりしつつ、彼は世界のためと考え、残された時間を追求し続けます。
焦り、不安、恐怖、怒りがごちゃまぜになる極限状態の中、人々のため動き続ける姿は、まさしく科学者であり、そして人間としての何かを考え続けるのも人間らしいと言えるでしょう。
そして、たまたま真実を知り、行動をすることを選んだジャクソンもまた、葛藤していました。
本当はじっとしていたほうが安全かもしれない。でも動かなかったら死んでしまうかもしれない。事実、家の中でじっとしていることを選んだ人たちもいましたが、彼はひたすら動き続けました。
しかし、彼はまた、別れた妻と子供、そして再婚した亭主にも複雑な葛藤を抱くのです。
こんな状況だからという声もありそうですが、日々の生活や厄介事で悩みを忘れる中、極限状態の中で余計なものが落ちたときこそ、葛藤に向き合えるということもあります。
過去のこと、今のこと、未来のこと。
それは、この全く立場の違う二人ですが、考えることは同じでした。というより、生き残っている人間が考えることはあまり多くはないかもしれません。
犠牲の意味
人類全員を救えないならより多くの人間を救うことを考える、よく言われていることです。
しかし、果たして本当にそうなのでしょうか?少し映画の話はおいておきますね。
例えば10000人救えば30年生き残れるとして、これを50000人に増やしたら6年しか全員が生き残れない状態があったとします。
このとき、確実に助かる10000人は本当に残りの40000人を助けようとするのでしょうか?
もちろん、時間があったら少しでも多くの人間を助けるために動く人も多そうですが、もう残り時間が殆どないとしてそのときに助けると言い切れる人は何人いるでしょうか。
まあ、質問の答えは正直人によるので割とどうでもいい話です。(ごめんなさい)
何が言いたいかを言うと、結局、必ずしも多くの人間を救うことが最善と考えるということではない、ということですね。もちろん一番いいのは救うことができる人間を多く救うことですが、個人で言うなら1日でも長く生きたいのも道理です。
誰かの一日が誰かの一日を奪う場合、どの犠牲に、どの価値を見出すのかわからなくなってきます。
この映画でも当然、犠牲は多く出ます。助けられたか、助けられなかったか。意味のある犠牲か、ただ生き残っている人の明日のための犠牲か。
世界崩壊の犠牲を見ているとやはり、犠牲について改めて考えることになります。
総評
正直に言うと、ちょっと終盤の人たちの物分りが良すぎるところが目立ちましたが、やはり世界が壊れていく場面は圧巻の一言です。(登場人物の中にも世界の終わりに興奮している人もいます)
アクション映画としてのシーンとしてはよくあるものでしたが、題材が題材なのでハラハラ感は大いに楽しめるでしょう。(ちなみにブログ著者はアベンジャーズシリーズとx-menシリーズは割と好きなのでアクション映画はそれなりに見る方です)
「明日、世界が滅んだらどうしよう」という究極のネガティブ思考を疑似体験してみるのもいいかもしれません。
ちなみに、正直に言うと、私は明日世界が滅びるというならば、生き残ることを考えず、できることをできるだけやって終わりを迎えたいタイプかもしれません。
もっとも、実際はそうなってみないとわからないですが、意外とそういうネガティブな考えが行動力に結びつくこともあるみたいです。
世界が滅びるシーンを目の当たりにしてみて、もし、この映像が明日自分の眼中に現れたら後悔しないために何ができるだろうと考えるのもたまにはいいと思います。
まあ、楽天家のほうが長生きできるとも言いますけどね。そのあたりは諸説あるので。
余談
実は、トーマス・ウィルソン大統領などこの映画の登場人物は実在した人物もちらほらいます。上映は2009年ですので当時からすれば未来に起こりうること、という形で上映したのでしょう。
まあ、映画といえ、実在の名を使った国の大統領や首相などにみっともない真似はさせられないとしてもし完全に架空の世界だったらまた色々と違ったのかは気になるところです。
そのあたりはまた別の映画を探してみることにします。
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