一言で
あなたは誰かにはまらないカケラを押し込むようなことはしてませんか?
本について
主人公である美容外科医が同級生だった人物の娘である少女の自殺について色々な関連人物から話を聞いていき、その死について探っていく物語です。
あらすじだけ語れば他に言いようがないほど非常に簡単です。そしてなんとこの物語、
一つの章で語るのは一人だけであり、しかも他の描写はいっさいありません。
主人公は特定の章で独白する以外、聞き役になり、何も語りません(一応、語っている相手の反応から喋っていると思われるのですが文章には現れません)
そもそも何が起こったか、主人公はどうして少女の死を探っているのか、結局一体何が真実なのか、といったものが非常にわかりづらいです。
しかし、だからこそ、先が気になって読んでいってしまいます。
それこそピッタリと当てはまるカケラを探すかのように……。
おすすめポイント
少しずつしか見えない、そして膨れていく謎
1つわかれば3つわからないことが出てくる
まさにそんなミステリーと言ってもいいでしょう。そして、また1つわかると、今度は先程の1つがまたわからなくなりつつ、2つ謎が増える……。読んでも読んでも減りません。
ミステリーはよくジグゾーパズルに例えられますが一般的なミステリーが順々に1つのパズルをはめていくならば、この本はバラバラに買ったパズルを適当にはめていくような感じです。
更にはめるのは読者ではなく、登場人物であり、そして性別、立場、年齢、性格、そして周りの環境などが違う人達がそれぞれ思うようにパズルをはめ込んでいくので見てる読者としてはかなりいびつなイメージを抱くことになっていくのです。
物語として破綻としているわけではなく、最終的に様々なことに納得できる驚きの結末があるわけですが、正直、私の脳がついていかず、色々な嘘が、適当な噂話、あるいは勝手な想像がまだ残っているため、結局もう一度読み直してそれぞれを考え直しました。
しかし、この頭をスパークさせるほど考えることや、善悪、真偽、そして人の本音と建前を探っていく感覚は間違いなくミステリーの醍醐味であり、非常に楽しめる部分であったと言えます。
内外の美醜
主人公が美容外科医なだけに、物語に「美醜」が関係してくるのですが、人は外見の影響を受けないのは絶対に無理、ということをこれでもかというほど教えてくれます。
誰もが子供時代に「人を見かけで判断してはいけない」という教訓を学ぶと思いますが……果たして生涯で守りきれる人はいるのでしょうか?
中身で勝負という言葉もありますが、そもそも中身を見てもらうまでもなかなか難しいもの、さらにいえば、外見でけちょんけちょんに弄られれば中身も歪むのもよくある話です。
実際、作中でも美醜に人々が戸惑い続けた結果、多くの人生が複雑な動きを見せています。
「自分は外見で偏見を持たない」「人のいいところを見るのが得意だ」と思っているのならば、この本を読んでみてください。果たして、登場人物たちを笑えるでしょうか?
外見に良いように騙され、噂と簡単に繋がり、そして、さきほど述べたような歪んだ事実が過去を作り出す……自分がなにかに影響されていないと思うほどドツボにはまってしまいそうです。
いっそそんな自分を認めるしかないのかもしれませんが、それはそれで自分の”美”徳として考えてしまいそうなのも問題です。結局、美醜がある限り、罪からは逃れられないかもしれませんね。
ドーナツの穴は……?
作中でたびたび出てくるドーナツ、これもまた、物語を象徴する一つのキーワードと言ってもよいでしょう。登場人物の多くはドーナツについて少なからず語ることになります。少女の死について関係があるという理由だけではなく、カケラというタイトルを考えるともっと深い意味がありそうです。
言うまでもなく一般的にドーナツというのは真ん中に穴が空いていますね。
(あんドーナツとか例外を除いて)
果たしてこの穴はなんでしょうか?もともとあったものを抜いたのは間違いありませんが、では抜いたから不完全になるのでしょうか?それとも抜いたら初めてドーナツはドーナツとしては”完全”になるのでしょうか?
もともとドーナツの穴にあったものはなにか大切なものだったのか、それとも、その穴が大切なものなのか?なにかおかしなことを言っていると思われるでしょうが、物語を読んでいけばわかります。
ひとまず私が思ったことはカケラとは目に見えるものだけはなく、簡単に評価ができるものではないこと、そしてドーナツにやっぱり穴は必要ということですね。
もし、あなたがなにか、世間的にただ価値あるものだけを求めてしまいがちならこの本はぜひおすすめです。
注意点
ミステリーとして複雑かつ巧妙に入り組んでいるだけにやや読みづらかったり内容がとっつきにくいところはあります。
今までミステリーを読むのにメモとか使ったことないという方でも使ってみるのがおすすめかもしれません。(私は使っていましたが最初の二人ぐらいのところで物語に夢中になってやめました)
最後に
とりあえず思ったのは、人間というのはつくづく勝手にわかったフリをするもの、ということですね。
あとがきでもケチョンケチョンに言われるほどはまらないピースを強引に埋めようとする人物がいますが、そういった人物がまた必要とされるのもまた事実であり、難しいものです。
わからないならわからないでいい、あるいはわかるまで考えるなり、話を聞くなり、学ぶなりすればよいだけなのですが……忙しい日々の中ではその必要性すら思い浮かびません。
私にあてはまるカケラはいくつあるのか?そして、本当に必要なカケラはその中でいくつあるのか?私は誰にカケラをはめて幸せにできるのか。
とはいえ、私は強引にカケラを押し込む人間が必要だったとしても、私はそういった人間にはなりたくはないとは思いました。ドーナツの穴の価値を考えられるような人間でありたいものです。
それが完全の象徴だったとしても不完全な象徴だったとしても。
あなたもきっとこの少女の末路を知れば同じことを思うことでしょう。
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