『三流のシェフ』(著:三國清三)のたくさんの魅力と内容をちょこっと紹介します。「雑用」のネガティブをぶっ飛ばします!

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ネガティブ・ブレイク!

一言で

誰もしたくない雑用を楽しんで、”誰か”になれない覚悟を決めてください。

本について

”世界のミクニ”こと、フレンチシェフの著者が自分の幼少期から、現在の店を開き、そして閉めるまでの本、すなわち自伝ですね。

私、大変恥ずかしながら、この方のことを全く存じ上げませんでした。帯の情報を見る限り、数々のイベントに参加し、日本はもちろんのこと、フランスの名だたる料理人から高い支持を得ている方のようです。

とはいえ、家族が料理人だったということもなく、専門の学校へ通うような料理人の王道を進んだわけではありません。貧しく、働き詰めだった日々の中、ただ一つの出会いから料理人を目指し、考えられないほどの驚きの行動や運命的な出会いを得て、世界的な料理人になっていくのです。

そして、運命を切り開くきっかけの多くは「鍋磨き」にありました。

信じられないかもしれませんが、読めばきっと「雑用の本質」そして、「誰かになるということの意味」について新しい考えを生み出すことができるでしょう。

……ちなみに、だいぶ序盤から「なんでこの人、この本に三流シェフとタイトルをつけたんだろ?」という感想を誰もが抱くと思いますが、それも当記事を読めばわかります。

おすすめポイント!

物語としての面白さ

昨今、「才能がない自分がこれだけの人になれた!」「とある人物の出会いが弱い自分のすべてを変えた!!」「自分にできるのだから誰にもできる!!」という本を見かけます。当ブログでもちらほら紹介していますね。

『三流シェフ』なんてタイトルがついているぐらいなんだからこの本も「誰でもできる!」と希望を与えるなのかな?と印象を抱く方もいらっしゃるかもしれません。

大間違いです。

様々な場面で苦難に満ちた人生の中で、奇跡的な歯車の重なり合いがここまでの人物を育て上げたという「現実でこんなことあるんだなー」と思わせるような非常にドラマチック性の強い内容でした。間違いなくこんな方は世界を探しても二人いるかわかりません。

生まれ育った環境と、性格、運命の出会いの数々、ちょっとだけ掟破りな考え方、そして、普通の料理人ではむしろ抱けないような料理への思いが、この自伝を予想もできないほどの面白さを生み出しているのです。

真似をしたいともできるとも思えないほどの波乱万丈で、でも楽しそうな人生を過ごしてらっしゃいます。

では、「この本は普通の人にはあくまで物語として読むべきで、他の自伝のようにあまり人生の参考にならないのか?」と思われた方も少しお待ち下さい。

この本の中で、何かになりたい人に伝えられることが2点ほどあります。

雑用の真髄

色々な場面においてコネも才能も学歴もない三國さんは、とりあえず、鍋磨きなどの雑用を任されます。

それこそ朝から晩まで何があっても磨き続けるという端から見たら誰でもできて、途中で馬鹿らしくなってしまうようなことを真剣にやりつづけます。

とある場面では他のことで役立つ場面など、いくらでもあり、むしろそちらのほうが料理人としてはやりたいことだというのに、あえて鍋磨きという雑用をしていました。

なぜなら「誰もやりたくないことをあえて楽しそうにやることで興味を持ってもらえるから」です。もちろん便利な人扱いで終わる可能性もありますが、もし尊敬できる人が見ている場合、チャンスに繋がるかもしれません(なお、最初にこのチャンスを与えられた後、三國さんはとある大失敗をして怒られるのですが……

本の中で、鍋磨きが、三國さんの運命を数回ほど変えるのです。

ミクニさんにとっては鍋が人生を開く鍵であり、そして「どんな仕事であっても鍋はある」と語っています。もしかしたら、この本を読めば、あなたが今やっているかもしれない仕事、あるいは誰もやりたがらない仕事そんな鍋を見つけるヒントになるかもしれませんよ?

そして、そんな鍋磨きこそが、雑用の真髄なのです。

”誰か”になるということ

終盤になり、三國さんは様々な修行を経て、フランス料理においていよいよ極みの段階に入った頃、彼はとある人から「とあるセリフ」を言われます。

そのシーンは是非、本を読んでいただきたいのですが、三國さんをして「自分の方向性を決められた言葉」と書いています。

自分の店を出して、自分が思うフランス料理、というよりは自分の料理を作り始めることになります。

どうして、三國さんがこれだけの力を持ちながら、なぜ自分を三流とするのか、作中では、「自分が教えを受けた人々に比べたら自分は遠く及ばないから」と言っています。

私はこう解釈しました。

明確に”誰か”になるには一部の天才を除けば、誰かから教えをもらわなくてはいけなくて、でも教えを誰かからもらうだけでは結局”ほんとうの意味の誰か”になれない。

劇中に出てくる人たちはおそらく、生まれ持ってから、「誰か」という存在になれるだけの力を持っており、そのような人たちを天才と呼ぶのかもしれません。

もし、自分に才能がなく、でも、自分の名前を刻めるような”誰か”になりたいのであれば、いつかは保証もヒントもなにもない場所に旅立たなければなりません。

しかし、これが当たり前のようで難しい問題です。

まず一端の実力を得ることも非常に難しいことながら、さらに何かを捨てる覚悟、そして、自身で責任を取る覚悟の2つがいるのでしょう。世界でそんな方はどれほどいるのか、想像も付きません。

やはり、誰もがなりたい”誰か”になるというのは想像も絶するような世界なのでしょう。

ただ、もしそういう人になれなくても、本の中で苦しみや葛藤をミクニさんから知るだけでも、助けになれることぐらいはできるかもしれません。そのためにどうするか?

もちろん鍋磨きです。これがわからなかった方は一つ前の見出しへどうぞ

注意点

珍しく簡単めに。

上記の2つ以外は絶対に真似しないでください。

もしくは真似するならそれなりに覚悟を決めてください。

この方は間違いなく特別な訓練を受けています。

最後に

このブログで本格的に自伝を扱ったのは初めてかもしれません。

「雑用」のネガティブさを吹っ飛ばすには良い本でした。

もちろん、この方の「運」と「才能」それから「根性」はいくら三國さん自身が否定しようが類まれなるものであり、大きく味方をしたのも否定はできません。

しかし、少なくとも鍋磨きという雑用を真剣に、気が遠くなるほど、そして見返りが求められるかどうかも不明瞭なままやり続けたのもまた事実であります。

もう一つ、方向性によって決められたことにより、順風満帆になりそうな道を捨てたことで本当の意味で、”世界の”がつくほどのミクニとなりました。

学ぶべきことがほんの一部分だけでも十分にあるのです。

偉大なことをした人の自伝というのはやはり真似をする方法が検討もできないぐらいがちょうどいいのかもしれないと思うことが多いです。

たった一部分でも自分にできること、あるいは似通うことさえあれば、十分にあなたを励ますだけのパワーが得られるでしょう。

今後もこのような自伝を探していきたいものです。

とりあえず、私も日々の生活の中で私の鍋を磨きつつ、さらなる鍋を探していくことにしますね。

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