一言で
彼女は一体どうすれば、呪縛から、牢獄から開放されたのでしょうか?
あまりにも痛々しい本
少し前に起きた事件をご存知でしょうか?
医学部を目指し、九浪していた女子学生(この本ではあかりさんという仮名を使っています)が母親を殺害したという事件です。私も言われて思い出す程度でしたが、聞いた当時から、受験の痛みというものはよくわかっていました。
受験というのは言ってしまえば個人差はありますが、一種の地獄といって差し支えないでしょう。たかが1年、ですが、そのたった1年で一生を左右されるほどの戦いを強いられるのです。
勉強そのものもそうですが、プレッシャーなども計り知れません。ましてや医学部などの常人では想像しただけでも憂鬱になるような重みがあるといえるでしょう。
最近は学歴社会に関する批判も高まり、受験で追い詰められすぎないようフォローなども入っているようですが、時代の変化というのはなかなか動きが遅いものです。
ですから、この母娘もまた、よくある受験戦争の被害者の一人なんて感想を当時は抱いていました。
……あまりに安直だったことを今ここで謝罪します。すべて読み切った後、自分の考えの狭さに嫌悪感をいだきました。
想像の何倍も、かつての受験世界が残した爪痕は大きかったようです。
幼少からずっと医学部を目指し続けるために母親に受けた仕打ちの数々、肉体的にも精神的にも追い詰められ続ける日々、逃げようとしても逃げられず、どうすればよいのかわからず絶望する日々が書いてありました。
もし、この本を読むことがあれば、私はぜひあなたに問いたいことがあります。
あかりさん(仮名)はどうすればよかったのでしょう?
もしかしたらその問いは何よりの”未来への宝”になるかもしれません。
ただし、受験そのものが必ずしも悪いわけではないということはくれぐれも忘れないでください。
おすすめ……というよりは特に見てほしい部分です。
内容が内容だけに、おすすめという言葉は使いづらいので特に私が見てほしい部分を列挙してみました。
いずれにせよ、読むのにそれなりに覚悟は必要でしょう。
しかし、現代が抱える問題の一つです。
受験の痛み
一言に受験と言ってもなかなか人によって印象は違うものです。「人生において重要な意味があった」「とにかく苦しかった」「大変だったけど思い返すと楽しかった」などが個人的にはよく聞く感想です。
印象には周りの環境にも左右されるでしょう。
良い先生、良い友達に恵まれているか、家族の理解はあるか、ほんとうの意味で勉強方法を理解しているか、精神的に追い詰められたときの対処法はあるか……などですね(医学部を目指すなら並の戦略では足りないと思いますが)
もし、どれか一つでも欠けてしまっていては、受験は非常に苦しいものとなるでしょう。とはいえ、他の部分がフォローできるのならば、致命傷になることはないかもしれませんし、より一層受験に対してポジティブな効果を生み出すこともあります。
では、あかりさんはどうだったでしょうか?
私の印象から言えば、受験にポジティブなイメージを持つために必要なものが全てがありませんでした。勉強はひたすら根性論で、近しい友人はただ劣等感の象徴でしかなく、先生や父親など頼りになる人もいたものの、母親を説得する力はありません。
あまりにも受験で支払った対価が多すぎたと言えるでしょう。最も、それほど母親が受験を、そして医学部を目指すということを重視していたとも言えますが、時代の価値観だったのでしょうか?
母の呪縛
全ページ、全章にわたって、母親の娘に対する仕打ちは虐待以外の何物でもありません。しかも母親は優秀な頭脳を持っており、狡猾で周囲に悟らせないように立ち回っているのが、事態をややこしくしていました。
LINEでの暴言、時代錯誤甚だしい体罰、謝罪文を書き写させて周りに拡散させるなど……グレーゾーンすら感じさせないほど真っ黒な所業です。
当然この仕打ちは娘に良い影響を与えませんでした。むしろ、泥沼化して、よりお互いに不幸の連鎖を生み出し続けていくことになります。
この行動の数々が、より強力な呪縛となっていくのです。
罪悪心や痛みの恐怖で相手を支配するというのは教員の体罰などの例として教育においても悪しき習慣としてありましたが、悪しき時代の習慣が母親にそのまま残ってしまって消えなかったのでしょうか?
あくまでこの本は、あかりさん視点で語られているため、母親が本当はどう思っていたのか、あまりにも情報がなさすぎました。ただ、言動だけで考えると、本人の言う苦しみに対して同情はできません。あまりにも、自己中心的すぎるからです。
一方で結局のところ、母親が無意識に作り上げてしまう娘という牢獄から抜け出すことがあかりさんをほんとうの意味で助けることにつながっていたのもまた事実である以上、人に歩み寄る精神の大切さと難しさを感じさせられました。
結末と後悔
読めば読むほど、あかりさんへの同情心が強くなっていくのを感じ、そして、悲劇的な結末を迎えることがわかっているのでなおさら苦しくなります。
殺人は当然、禁忌の中の禁忌です。ですが、彼女はどうすればよかったのでしょうか?私が思う対策法(逃げ出す、距離を置く、担任に相談する、一旦働いていてみる等)はは当然とっており、そして母親に対しても最後まで向き合い続けようとしていました。しかし、母親はすべてを受け入れませんでした。
事件が起きた後、検察の事情聴取が行われるのですが、申し訳ないのですが、あまりにも一般的すぎる言葉が軽く感じました。普遍的でありきたりで、どこからか借りてきて誰でも言えるような言葉を彼女に言いましたが響くわけもありません。(ただ、このあたりもやや主観的な表現があるのかもしれませんが)
一方で私が彼女だったら、あるいは彼女の周りにいたら何ができていたか、何を理解してあげられていたか、ということもまた、どうしてもわかりません。そういう意味では結局私も何もわかっていない人と何も変わらないのかもしれません。
最終的に、彼女は罪と向き合い、悔いることを決めます。そして母親が原因で別れていた父親と和解を果たし、彼女自身の人生を歩むことを決めるのです。
しかし、仮に母親がまだ生きていたとして、果たして彼女は彼女の人生をどうすれば歩めたのか、それは彼女自身の問いだけではなく、読んだ読者にも向けられている気がしました。
最後まで読めば、あなたもきっと色々考えることになるはずです。
注意点
タイトルだと母と娘がお互いに辛かったというような印象を受けますが、正直、ずっと娘視点であり、はっきり言って「母親は何に苦しんでいたのか?」はわかりづらいです。
更に言ってしまえば「母親に同情できるか?」と言われるとはっきりいって難しいです。この記事内でも何度も紹介しましたが、実の娘に対する行為としては心身ともに残酷なものであり、更に言うのならば思慮がある行為とも言えません。
あくまで視点はあかりさんと彼女の話を聞いている著者のものであり、娘としての痛みを追体験していく本と言えるでしょう。
そして、こういった本を読む場合の注意点ですが、決してこういった本を鎮痛剤のように使ってはいけません。確かに苦しい人を知るのは大切なことですが「比べると自分の苦しみはたいしたことない」というような使い方は危険です。
特に、あかりさんが受けた苦しみは常軌を逸するものですのであらためて注意喚起しておきます。くれぐれもこの本を読んだからといってあなたの、もしくはあなたの近しい人の受験が「まだ楽な方」などは思わないでください。痛みの感じ方は人によって違うのですから。
最後に
「自分だったらどうするか?」「自分がこの人のそばにいたらどうするか?」そんな解答が全く検討もつかないのは久々の感覚でした。
小説ではなく事実起きてしまったことでどうしても現実感がないような、でもただ空想と感じるのは許されないような感覚が抜けません。
死者を悪く言うのは良くないことですが、はっきり言って母親は異常者としか言えないと言われても反論はできませんし、もう少しでいいから歩み寄る精神を持つべきだったとは思います。ですが、かつての受験戦争の象徴だったということも少しオーバーとはいえ否定できないところがあります。
娘はどうしたら、母親の呪縛から開放されたのか。
母親はどうしたら娘という牢獄から出ることができたのか。
さらに言えば、どうしたら幸せな母娘になれたのか。
答えを出せる気は正直ありませんが、これからも考えていかなければならない、そんな気持ちにさせられた本でした。
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