オススメできる人!
- 人生うまく行かないと思っている方
- いい人でなければいけないと思っている方!
- 世の中絶対に正しいと思っているものがある方!
結論:いい人をやめてしまうことは大いなる可能性に繋がります!その利点と勇気をこの本は与えてくれました!
最初に
皆さんはいい人って呼ばれることはありますか?私は昔はよく言われていました。
なんとなくうれしかったですし、言われるたびにもっともっと「いい人」になろうという思いを強くしていきました。たとえ傷つけられても、何かを失っても「いい人」であることを続けることだけが大事なことと思いこんでいました。
ただ、ある日気づいてしまいました。「いい人」というのは「都合のいい人」なのではないかと。
抵抗しても攻撃されないからいじめられる。反論しないから意見を通されてしまう。誰かを傷つけるのを恐れてしまうから、結局自分が傷ついてばかりの道を進んでしまう。
そんな経験が皆さんにもありませんか?
では、どうしたらいいか?
答えは簡単です。
「いい人」をやめればいいんです。
そこで紹介するのが、今回の本、『「いい人」をやめれば人生はうまくいく』です。
広い範囲を網羅しており、いい人で居続けることのデメリット、いい人をやめることのメリットを同意に説明するという基本スタンスは崩さずに、人間関係、対話、常識、お金、恋愛、再生産(総合的なもの)とジャンルを置いて多種多様な「いい人」をやめるための方法が書かれています。
一見すごく恐ろしいことが書いてあるように思う方もいらっしゃるかもしれませんが、決して犯罪行為をしろとか、人をぞんざいに扱えと言っているわけではありません。
そうではなく、自分が思い込んでいた善に対する義務感、あるいは「いい人」の条件である、とにかく善行をするのではなく、世間から教えられた善の常識をもう一度見直し、捨てるものはきっぱり捨ててしまおうという本です。
現在進行系で流行っている断捨離の一つと言えるかもしれません。
まだ、ためらいがあります?ですが、一歩踏み出してみませんか?
「いい人」をやめることはあなたの想像以上に、あなたの願いを叶えてくれるかもしれませんよ?
おすすめポイント!
人生の見直しができて、しかも可能性が大きく広がります。
さて、「いい人をやめよう!」とあなたが思ったとして当著書に書いてあるとおりにするとしましょう。そして、できる範囲で行動したとします。
すぐ始めようと思えば始められますし、道具も紙とペンのような身の回りのもので十分賄えるものぐらいしか要求されません。全ては「始めよう!」という心次第です。
それでも、すぐには効果が出ないかもしれません。あるいは思った以上の成果は出ないかもしれません。
しかし、間違いなく、ちょっとずつでも良い方向に変わっていけば「いい人でないといけない」という思い込みは少しずつ減らしていくことができ、そして減らした分だけ、新しい可能性がどんどん生まれていきます。
そして、自分自身で善だと思っていたもの、あるいは世間が善だと教えられていたものに気づき、想像以上に「自分にはできることが多い」ことが気づくのです。
前に紹介した本は、全肯定しがちな”絆”を一度否定してみて、改めてまた”絆”という考えて直してみるという方針ですが今回は様々な「いい人」であるための否定し難いものを否定し、捨てることで、何も考えず「人生の見直しをしてみよう」と思うより遥かに世界が広げられ、自分がしたかったことをやり、したくないことをしない、理想の世界への一歩を踏み出せます。
まさに、究極の断捨離となるのではないでしょうか?
恐怖への対抗策が作れるようになります。
恐怖はブレーキにもなり、そして負のアクセルにもなります(なまはげを例として子供の躾などに有効なときもありますが……)
恐怖は誰かのお金稼ぎに利用されがちで、そして恐怖をお金にしようという方は多いです。また、お金が絡まなくても誰かを恐怖の力で支配しようとする人も世の中には数多く存在します。
身も蓋もない言い方をしてみれば、善悪関係なく、ただ「ずるい人」ですね。
「いい人」でいる場合はやりたいことがあったとしても争いを恐れてしまうため、そんな人達を恐れて、動けなくなるか、あるいは動いたとしてもすぐそんな「ずるい人」たちの罠にハマってしまい再び動けなくなってしまいます。
誰かを傷つける、誰かに迷惑を掛ける、生きてて当たり前であり、恐怖を感じるのも道理ではあっても不可避のものです。それこそ、たとえ「いい人」であったとしても決してなくなることはなく、「いい人」である以上、
事実に気付けさえすれば、動けなくなることもなり、騙されたとしても再び反省し、また動けるようになります。
「善悪」について考えられる
『「いい人」をやめれば人生はうまくいく』を読んでいけば、そのうち、どんどん考え込んでしまいます。
そもそも何が善で、何が悪だったのか、ということを。
タイトルの答え合わせですね。
善の反対はなんでしょうか?悪ではありません。
では、私なりの答えを答えましょう。
善の反対は「善以外のもの全て」です。
正義、優しさ、絆、愛などですら、時には善と対立することはありうるのです。金、時間、友情、趣味(まっとうなものだったとしても)などの人々が望むものですら、善は許さないことがあります。もし、完全な善というものがこの世に存在するのであるとすれば、人々はその善以外の者すべてを認めなくなるでしょう。そして「悪」となるわけです。
もちろん、善は悪いものだから全くなくせと言っているわけではありません。やりすぎは禁物です。多くのものを失うことになるでしょう。
しかし、それは善に傾きすぎて「いい人」になってしまっても同じということです。多くの物を失い、多くの時間を失い、やがて善そのものを憎むことになってしまうかも知れません。
最後に憎んでしまうぐらいなら、善を程よく捨て、いい人をやめるということは、結局の所、善を大切にすることに繋がると私はこの本を読んでつくづく感じさせられました。
チョコットダメ出し
「この人が優秀だからできること」もやや見受けられました。特に、「私、あなたより稼いでますけど?」を言える人なんてそうそういません。
最後に
いかがでしたでしょうか?いい人をやめたくなってきましたか?
いい人であることは大変です。常に誰かのためを思いやらなければいけないのですから。
いい人をやめることもまた大変です。ときに誰かを傷つけなくなければいけないのですから。
しかし、2つには決定的な違いがあります。前者はこれからもずっと大変で、後者は少しずつ楽になっていき、成果も上がっていきます。
誰かを傷つけなくてはいけないときはどんな人にも必ず存在します。もっと言うのであれば、お互いにとって「傷つけたほうがいい」「許さないほうがいい」場合もあるのです。もちろん、区別するのは大変ですが、「いい人」をやめていくときっと答えが見つかるはずです。
それでもまだためらっている方へ。
そもそも本で紹介されているような「いい人」は世間が思っているほどは、誰かのためにはなりません。尽くしたり、自己犠牲したりしていると相手に罪悪心、不気味さ、依存心などを与えてしまう可能性も決して少なくないからです。
いい人をやめていけば、ある程度のポジティブな感情も無くなる可能性はもちろんありますが、無意識に感じていたネガティブさもなくなり、正しく自分のためにも相手のためにも行動できるようになるのです。
もしかしたら、それが本当の「いい人」あるいはなんと言うべきかわかりませんが、もっと誇るべき人なのかもしれません。
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