[宇宙]がテーマ!!【絶望】がNテーマです!! 『インターステラー』監督 クリストファー・ノーラン 宇宙が、時間が、重力が、そして様々に変わる親子の絆が滅亡の前に轟く!!科学技術の力と人類の力、そしてもっとはるかに大きい何かの力を感じ取りました!

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映画 その他
映画『インターステラー』予告編

オススメできる方

  • 宇宙映画が好き!
  • 世紀末について考えるのが好き!
  • 親子の一つの可能性が好き!

この映画を見れば……

人の可能性もまだまだ捨てたものじゃない!と思えます!

※星と星の間という意味をインターステラーというらしいです。

最初に

宇宙のイラスト(背景素材)

宇宙

無限に広がる未知の世界は憧れの象徴でも有り、生命が存在しない暗闇は恐怖の象徴でもあります。スリルを求める人、未知を求める人、地球よりももっとはるかな世界を見たい人を魅了してやみません。

何より、人類が目指すべき目標の一つでもあります。

理由は大きく分けて2つ、人類の可能性を広げ、そして地球のためになる資源や技術を探すこと。

そしてもう一つは、地球にもしものことがあったとき、逃げる場所を探すためです。

もちろん地球を見捨てないという方針で考えるのも大切ですし、そんなことはないと切り捨ててしまっても構いませんが、宇宙を研究しているの人の中にはそういう方もいらっしゃるということです。

逃げることは楽な道に走るという解釈をされ、ネガティブにとらえられがちですが、宇宙ともなると逃げるにしても一苦労なのは間違いないですね。

今のところは他に暮らせる星のあてもなければ、たどり着ける保証もありません。地球が滅びるとして、その前に果たして技術が間に合うのかどうか……考えるだけでもなかなか憂鬱ですね。

さて、今回の映画ですが、まさにそんな物語と言っていいでしょう。

一流の宇宙パイロットでありながら、生活のため農業をしている父親が再び宇宙に行って、人類が生き残る術を探る物語です。そして残された娘もまた父親とは別の観点から人類を救う研究を始めます。

長い時間、お互いに出会うことはありませんが、お互いに対し複雑な感情を何度も変えつつも、お互いを思い、自分のなすべきことを果たしていきます。

宇宙規模の多い科学技術の物語でもあり、そして離れ離れになっても形を変えながらお互いを強く思う家族の物語でもあります。

あらすじ

異常気象におかされる地球、かつて宇宙飛行士であり、一流のパイロットだったクーパーは娘のマーフィーの発見や、自身の考えのもと、何もしなければ、近い未来に、人類は絶滅するという考えを持ち始めていました。

そして様々な考察な元に、たどり着いた研究施設でブランド教授と再会したクーパーはすでに人類救済のために旅立った宇宙飛行士たちの安否と研究成果を持ち帰り、人類を救済するために再び宇宙へ行くことを提案されます。

しかし、旅は長い間に家族と離れ離れになるということでもあります。特にマーフィーは父親が宇宙へ行くことを非常に嫌がりました。

賢い彼女は、「何者か」のメッセージが「stay」と警告していると伝え、父親に行ってはいけないと塞ぎ込みながらも懸命に伝えるのです。

葛藤の中で、最終的には人類の救済のため、そしておそらく、心のどこかで残っていた宇宙への憧れのため、クーパーはブランド教授の娘のアメリアを含む四人のチーム、そしておしゃべりな人工知能のロボットで旅立つことになりました。

マーフィーとは和解はできなかったものの、一つの約束をしました。

「必ず帰る」

クーパーにとってもマーフィーにとってもそれぞれが絶望に満ちた世界の中で、長い長い戦いが始まるのです。

離れてもなお強い親子の絆

テーマの一つには「家族」は外せません。

宇宙と地球では時間の経過時間が違うので、宇宙での数分が、地球での数年になることすらあるのです。

マーフィーもまた、父より早く年を取ります。そして、父親とはまた違う形で人類救済の道を目指す研究者となるのです。

しかし、ある重要な秘密を中盤で知ることになります。そして、家族を信じたいか、裏切られたと思うのか、家族を守るのかそれとも救うのか、同じようで違う選択を取ることになります。

更に細かく言うのであれば、父親を信じて待つのか、父親ができなかったことを自分が成し遂げるのか、それとも、自分の言葉を信じず、宇宙へ行った父親に対し、自分の主張が正しかったことを証明するのか……複雑な状況の元、彼女は彼女は自分のやるべきことに没頭します。

様々な感情が綯い交ぜになっているものの、やはり、父親への愛情、そして絆の強さが絶望と戦う原動力になったのは間違いないでしょう。

そして、クーパーもまた、絶望によって娘への思いを忘れなかったことによることにより、あるきっかけをつかむことになるのです。

科学の限界≒人類の限界

近代における人類の進歩はほぼ科学の進歩と言っても良いでしょう。兵器にしても文明にしても趣味にしてもほぼ全ての問題に対して科学は関与しています。

よく大自然の前では科学は無力と称されることもありますが、実際は人類は大いに進歩しています。その辺りの話はこちらこちらを見ていただけるとより分かると思います。

そして、科学を持ってしてもできないことはまだまだたくさんあります。今の科学が未完成なのか、それとも科学の限界なのか、それはまだわかりません。しかし、一つ考えてみたいのは科学でどうしようもなくなった時、果たしてそれが本当に人類の限界なのでしょうか?

当映画、『インターステラー』は聞いて調べても全くチンプンカンプンな科学知識が出てきますが、実はもっと大きな力が数多く出てきます。それはあなたが知っている力かもしれませんし、知らない力かもしれません。更に言うのならば本来の目的とは違った力なのかもしれません。

科学的な面が非常に強いこの映画ですが、もし最後まで見たのであれば、科学以外の人類の可能性について見ることができるでしょう。もちろん、先のテーマでも合った親子の絆もですが、もっと説明が難しい複雑な力が裏に秘められています。

Nテーマ【絶望】について

さて、Nテーマについてですね。

地球の人々を救うためのクーパー博士の旅ですが、もちろん宇宙ということも有り、並外れた苦労では有りません。「これ以上最低ってある?」と言いたくなるような状況が何度も続きます。

あるはずのものがない、なくていいことが起きる。時間だけが残酷に進む。思いがけないことが起きる。信じていたことが信じられなくなる……と私が「絶望」をテーマにしたのが伊達ではないぐらい絶望的な状況が続いていきます。それこそ最低の下へ下へと続いていきます。

そしてそれは娘も同じこと、行き詰まる研究、裏切り、家族とのすれ違い、そして父親への複雑な感情など、様々な障害が絶望となって彼女に襲いかかります。

いっそ諦めてしまえば楽なのかもしれない、もっといい方法があるのかもしれない。もっと大切な方法があるのかもしれない、そんな誘惑が二人に襲いかかります。

では、彼らはそんな絶望と戦い続けていたのでしょうか?

私の感想はというと実を言うと逆だと思っています。

絶望に諦めていたからこそ、最後だと思ったからこそ、「二人はやりたいことができた」とも言えるのではないでしょうか?

とても信じられないようなものに直面し、わずかな差だったとしても生き残るための道は明確にあったのに、二人はそれぞれある選択をするのです。それはある種の「絶望」から目覚めた感情だったと考えられます。

「何を始めたいのならば、何かを諦められなければならない」という観点に置いて諦めやすくなる「絶望」はネガティブな効果だけではないというのは私が感じているだけではないと信じたいですね。

ちょこっとダメ出し

まあ、お察しの通り、宇宙規模の科学の話をするので専門用語がかなり多かったり、説明を延々とするだけの時間もやや多めにあります。若干のスルースキルがないと物語が頭に入ってこない可能性があるでしょう。

終わりに

スケールの大きさと親子の絆、そしてハラハラする展開や不意なアクシデントなど、設定の複雑さを除けば飽きさせない要素が色々ある映画です。

「絶望に打ち勝っていく」というよりは「絶望を受け入れて自分のできることをしていく」そして「やりたいことを見つける」という面もありますね。

もっとも絶望感や過酷さすらも内包するスケールの大きさ、そして人類の可能性は見ていてネガティブな印象の中にも人を引き付ける力がありました。

落ち込んでいるとき、あるいはちょっと挑戦してみようと感情が働いているとき、どちらにもいい刺激を与えられる映画になると思います。

興味がありましたら是非どうぞ。

……ちなみに次の映画のNテーマは「希望」となっております。

余談

よく言われることですが、世界滅亡が想像するだけでも怖くなったら「葉っぱのフレディ」がオススメです。「死」と「滅亡」、そして「輪廻」を一番簡素に描いた物語と言えるでしょう。

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