オススメできる人
- 「お金の余裕なんて無いからどこかで削らないと……」
- 「相続?葬式?縁起でもない!!」
- 「だってプロがやれっていっているんだからやらないといけないんじゃ……」
この記事を読めば……
「危うく考えなしに金を使うところだった!」となります!!
最初に
どうも、この記事がいつ発表になるかわかりませんが、年末に書いていました。
2022年1月5日となり、そしてあけましておめでとうございます。
間に合いませんでした。
それはさておき、今回のお話なのですが。
まず、最近私が見た動画を紹介いたします。
相続の話ですね。動画の内容に関しては私が補足する必要なんて全く無いほどわかりやすいのですが、最近読んだ本で同じく「死」に関するテーマかつ、「お金」に関する問題もありました。
タイトルでもわかると思いますが「葬式」についてです。
たまたま古本屋で見つけて読んでみました。10年以上前の本ではあり、葬式関連の段取りなども変わっている可能性はありますが、3つほど変わっていない大事なことがあります。
①まだ日本はデフレ危機から脱却しておらず解決の見込みがないこと ②私のブログでもたびたび紹介してますが、お金の使い所を見直すことが重要視されつつあること、そして、③相続の話題もそうですが、死に関してはどこまでもネガティブであり、なかなか話しづらいこと。
こういった事情もあり、少しだけネットで調べましたが、まだまだ葬式にかかる費用は多く、そして意義や効果については
読んでいただければ、いざという時から先の未来に対策することが出来ると思います。
ちなみにいつものことですが、「葬式は絶対にやるな」ということではなく、「本当に葬式が必要なのか、あるいは、本当に誰かの言う通りの規模で葬式をやらなきゃいけないのか?」という判断のための本です。
自分が誰かに負担をかけたくない、あるいは誰かと死後に争うようなことになってほしくない方、ぜひ上の相続の動画と同じく考えてみませんか?
一時期終活が軽い話題となった時期もありますが、やはりまだまだお気軽に話し合える話題ではなく、しかし確実に訪れるであろう未来の話です。早めに話し合える時に家族と話し合うのがオススメです。
葬式の問題点と時代の流れ
葬式は相続と同じぐらい「死」から最も近い問題であり、そして「死」の問題は何かと敬遠されがちです。つまり考えようと思う時間がどうしても短くなったり先送りになってしまったり、あるいは専門家に任されがちです。
つまり最近、何が変わってきて何が変わってないのか、あるいはどういう点が便利になったのかをなかなか世間的に伝わりにくいということでもあります。何が無駄で、何が必要かということが判断しづらいというとにかく未知の領域になりがちです。
まさにこの部分が大きな問題となっており、気がつけば、家計に大ダメージを与えるような出費がかさんでしまったということになりかねません。
この本を読めば、どういった起源が元で、葬式が派手になっていったのか、そして歴史に伴う目をそらしがちな葬式の問題点にはっきりと向き合うことができます。
「死」を悼む人の感情は、おそらく太古の昔より変わっていません。「どういう形で死を悼むのか」は変わってきているのです。そして、昔と違うのは、どのようにしたいのかが選べるということです。
大切なのはただ一つだけ。葬式を上げて貰う人、そして葬式を上げる人の気持ちです。宗派の問題もありますが、少なくとも、誰かに流されることだけはないようにしたいものです。
葬式がいらない理由
身もふたもないですが、大きな理由は一つです。
費用対効果がかなりわかりづらい上に、費用が大きすぎるから
「お金の問題じゃないでしょ!!」と言いたくなる気持ちもわかりますが、故人の人生は確かに終わりますが残された人の人生はその後も続いていくのです。もちろん葬儀を行うことで残された遺族の絆が強まるという効果も否定するつもりは有りませんが、どうしても葬式じゃないといけないものでしょうか?
本を読んでいくと、上の大雑把な理由だけではなく、世間体に流されてしまうこと、とりあえずプロに任せてしまうこと、大きな金額を見てしまって小さな出費にルーズになりがちになってしまうことなど、葬式だけではなく、一般的にお金の問題で陥りがちな数々の罠について書かれています。
「死」という最大の付加価値がついてしまうと、普段なら上記の理屈もわかっている人でも、事前対策無しでは大きな出費、あるいは大きなお家騒動に発展しかねません。
わかりやすく言えば「見栄」と「名誉」につられてしまうと、「争い」や「浪費」につながってしまうのです。
逆に言えば、「死」というフィルターを取り除いて考えてみれば、無駄なもの、必要なものが見えてくるはずです。そして、当本を読んでいけば、フィルターを外すだけではなく、葬式の一般的な慣習や風潮を知ることにより、無駄の取捨選択ができるようになるでしょう。
結局どうすればいいか
最終的にこの本の結論としては、タイトル通り葬式をあげない方法、あるいは、葬式を安く済ませる方法について書かれています。ちょっと古い情報でもあるので何かしらで補足は必要ですが、十分に参考になりました。
大切なのは2つです。1つ目は葬式を上げる人の希望を調整すること、もう1つは誰かに流されないことです。
「死」という存在は絶対に避けられません。「相続」にしても「葬式」にしても確実にいつかは訪れる問題であり、そしていつ訪れるかがわからない問題なのです。
少なくとも死んだ後に自分が葬式を見れるかどうかがわからないのですから(この辺りはやや霊感的な話、宗教的な話になってしまうので)無闇に盛大にされても……と私だったら考えますが、この辺りは好みの問題でしょう。
そもそも葬式は死後に極楽浄土へ行くためのものというのが主なテーマみたいですが、誰かに負担を大きく押し付けた人が極楽へ行くという話になると……やや納得がしがたい人もいるのではないでしょうか?
もちろん、「自分の死を悲しんでもらいつつ、多くの人に見送ってもらいたい」あるいは「残された家族が団結するために自分の葬式を開きたい」などという考えも聞いたことはありますし、間違ってないとも思っています。
何を大切にしたいか、そして大切に出来るものには限りがあるのですから。
とはいえ、もう一度言いますが最後は自己判断です。
「死んだ後も自分の死を悲しんでもらいたい」「大切なあの人の死を多くの人に見送ってもらいたい」という感情まで否定するつもりは有りませんし、そのために葬式をするのであれば、全く構わないと思います。
ただ、その場合でも安く出来る部分は安くしたり、あるいはお金をかけなくてもいい部分は事前に調べておく、ということはあとで後悔しないために必要なことです。いえ、もしかしたら、後悔すらできないのかもしれません。
終わりに
ここまで書きましたが、一つ重要なことがあります。
葬式について無駄な出費を減らし、残された家族のために残せるものを増やそうというのが目的の一つではありますが……。
当記事のテーマはブログにもあげてない様々な人の話や本を見てきましたが、「子供にたくさんのお金を残せるようにする」ということは必ずしも重要とは言えないということです。
理由は様々ですが、だいたいは「最初からお金があると必要なものを手に入れる努力をしなくなってしまうため帰って子供のためにならない」という意見がよくあげられます。
単純に残せるお金ではなく、 何かしらの経験や力となるようにお金を使うことができれば、大いに子供のためになり、もし万が一「葬式」にそんな力があるのであれば、葬式は決して無駄とは言い切れません。
しかし、誰かに「こうしなきゃだめ」あるいは「こうしなきゃ恥ずかしいみたい」みたいな形で誘導され、より大切なものを失わないでほしいということです。
そもそも「葬式」だけが故人を想う方法ではありませんし、残された家族の団結を高めるものではないのですから。
Nテーマについて
「浪費」ですね。世間体、あるいは常識を知らないと非難されるという恐怖のもと、誰かの言いなりになってお金を失うのはいちばん悲しいことです。
起源を知り、相手の意図を知り、そして自分のしたいことをするために、「浪費」と断ずる覚悟を持ってください。
コメント