p209
こんな方にオススメ
- 「学校行かなきゃ大変なことになるよって言われてるけど……」
- 「子供が、兄弟が学校へ行きたくないって言うのを外に出させたい!」
- 「学校サボっちゃった……もう全部終わりだ……」
この本を読めば……
「何だ!不登校でもいいんだ!!」となります
最初に
学校
一般的に人生において大きな拠点、ターニングポイントといえる場所です。勉強という意味だけではなく、運動、行事、礼儀、思い出、出会いなどたくさんの要素を含んでいます。
テレビでも著名人の生い立ちを説明する場合、大概学校生活、もしくは学校そのものの来歴が大きく取り上げられます。少なくとも最初の方で説明し、どういう人間に育ったかを説明します。場合によっては恩師などが出てくることもありますね。
学歴社会が弱まってきたとはいえ、学校でどう生活したのか、あるいは単純にどういう学校に行ったかで人間の特徴の一つを決めている、学校は一般的に人の看板になりえ、大きな特徴の一つになるでしょう。
つまり、学校へ行かないということは、大きな大人になるための部分を一つ欠ける……という印象を世間が抱いても仕方ないですね。
……さて、ちょっとひねくれた一般論はここまでにしましょうか。
私は学校にいい思い出がありませんし、成長ができたと思いませんでした。学校が私に対してなにか特徴を残したとするならば、はっきり言っていらなくて嫌な特徴です。私が障害者であり、ややアブノーマルなところもあったというのは否定しませんが、どうにもならないものを無理やり更生させるぐらいなら別の道を探させるか、あるいはほっといてほしかったというのが本音です。
もっとわかりやすく言うならば、
「行かなくていいなら行きたく有りませんでした」
もし、かつて私みたいな思いを抱えている人がいるのでしたら、本日、紹介する本は大きな助けになるはずです。学校へ行かないことに罪悪心を覚えていたり、学校へ行けない誰かを励ますのに使ってください。ちなみに、不登校を全肯定しているわけではなく、意外な人が不登校の欠点を述べていたりします。
総合的に判断して、自分の状況を見定めてください。大丈夫です。あなたの人生は決して学校なんかで決められて良いものでは有りません。(学校で”決めたい”なら話は別ですが)
今回は一人ひとりの話にコメントしていきますね。毎度のことながら重要なことは話しませんが、どういう話なのかを説明いたします。
一つだけ言っておくと、「勉強しなくていい」と述べているわけではないのでご注意ください。あくまで「学校へ行かなくても良い」とはどういうことかを説明している本です。
不登校ってなんだろう?
フリー・スクールの奥地圭子さんの話です。
不登校の時代の変化、そして学校の変化についてお話しています。
学校に行かない子供に価値はないのか?それとも学校そのものが価値が薄れてきているのか?絶対に不登校はしてはいけないのか?不登校になる生徒は少ないのか?そもそも不登校になれるのは一部のお金のある人だけなのか?といった部分が特に解消されます。
昔は不登校に対する仕打ちは厳しく、頑張ってよく言えば根性論、ハッキリいうと、外道じみた矯正を受けることあったようですが、今は真剣に科学的かつ、道徳的な道を探す団体も増えているそうです。
今の所、不登校はマイノリティ、つまり少数派なわけですが、少数派を多数派にするのではなく、少数派のまま、新たな道を歩ませる方法を考えようということですね。
学校は変わらないの?
桜ヶ丘中学校・元校長の西郷貴彦さんの話です。
規則と自由の本当のバランスについて教えてもらいました。
「不登校の話で校長先生の話なんて役に立つの?」という声が聞こえてきそうですが、ところがどっこい、この方は逆に他の学校の校長先生をすべて敵に回しそうな学校の改革を行いました。
校則がなくチャイムもなく、時間で縛ることもなく、学校で寝てたっていい……というのが一例で他にも様々なあっと驚くようなことを述べています。
正直、かなり極端な改革だったんじゃないかと思いますし、絶対に問題は何かしらあったとは思いますが、一方で良かった部分も多かったようで、「先生も生徒もストレスがなくなった」
全ては学校を「楽しむためのもの」にするためでした。個人の価値観と言われればそれまでですが、ただ、大人になって「学校が楽しいところだった」と思えたほうが社会的に成功できるという話も少なくないので合理的な部分があることは否定できないと思われます。
少なくとも、不登校は何かと「生徒の責任」にされがちですが、「学校の責任」として改革に踏み切ったというのは他の不登校生にも大いに励みになると思われます。
個人的には5つの話の中では最も面白く最も希望が持てる話でもあり、そして最もちょっと浮世離れしたお話でした。
「学ぶ」ってなんだろう?
支援団体の理事、土屋匠宇三さんの話です。
根性論、とまでは行かなくても視野が狭くなりがちな勉強や環境について視野を広くする方法を学びました。
不登校は決して当人だけの責任や怠慢、能力不足ではない、というお話ですね。実際、貧困、障害、その他地域社会の問題などもあります。学校はなんとなく万能感を感じさせがちですが、多様性が重要視され、積極的に取り入れられている中、できることに限界があるのは学校だけの問題では有りません。
優秀な人間だけを世間の歯車として活用するのではなく、様々な歯車を入れられる世間になっていけばと思いました。
そちらのほうが私としても生きやすそうです。
学校行かなくて本当に大丈夫?
お笑い芸人、山田ルイ53世さんの話です。
不登校のデメリット、そしてどういう時に不登校になってはいけないのかを教えてもらえます。
冒頭で言った、不登校についてちょっと否定的な人が実はこの方です。最初は神童と呼ばれるほどの超優等生だったのですが、とある経験談から不登校になってしまい、ひょんなことから芸人になったので、さぞかし不登校に寛容なのかと思いきや、意外と否定的です。
不登校になるべき時とならない時、不登校になってしまうと他の人と何が変わってしまうのか、芸人さんのイメージはちょっと離れた実直なメッセージを込められています。
少なくとも「とりあえず学校行くのやめよ」は良くないということですね。もちろん悩み抜いた結果、あるいは「このまま行ったら命に関わる」(この言葉を笑う人を私は笑います)みたいな状況だったら行かなくてもいいですが、もし行けるのだったら行ったほうが良いということです。
とはいえ、救いがない話ではなく、自身の経験をもとに、「不登校は決して否定されるべき問題でもない」ということもあります。
どれだけ目を逸したくても物事には必ず欠点があります。この本を読めば不登校を全肯定したくなりそうですが、肯定だけではかえって納得がいかないものです。山田ルイ53世さん、元神童だった不登校生である彼の話を聞いて不登校の長所と短所のバランスを見直すとより不登校になることに納得が行けると思います。
不登校になる私はおかしいの?
精神科医、松本俊彦さんの話です。
大人が不登校、世間でネガティブと言われているものを責める理由と責めてはいけない理由、そしてどうすればいいかを説明してもらえます。
不登校の経験談を話すと今を立派に生きている人が多く紹介されていますが、それはそれで少し厳しい話です。障害者にも通じる話ですが、欠点を誰よりも優れた長所に変えるのはごく一部の人だけです。
欠点の別の意味の必要性を教えてもらえるでしょう。
「失敗は成功のもと」という言葉は学校で習いますが、学校自体があまりこの言葉を信じていていない気がします。
私の経験上、「成功は失敗のもと」というのも正しいですね。未だに失敗だらけなのは変な成功をしてしまったからというのも多いです。それこそブログ著者の私みたいな失敗だらけの人間でも生きられるというのはブログを書いてて特に発信したいメッセージなので読んでいただきたい部分ですね。
時代は変わる
最後に座談会ですね。
明確な答えがあるわけでは有りませんが、不登校の経験者の話はそれだけで聞く価値があります。
「教わる」という点では難しいですが、「考える」という点では、人の話し合い、及び話し合いを文章にまとめたものは役立ちます。
ひとつ上の松本さんが語っていましたが、決して不登校から立派な人になる必要はありません。むしろそんな人ばかりだったらかえって萎縮してしまうでしょう。
不要に希望をもたせるわけでは有りません。ただし、絶望し尽くしても欲しくは有りません。不登校という現状、ネガティブだらけの問題に、少しでもポジティブさを加えられる総合的な話し合いです。
疲れ切ってしまった時、あるいは誰かの進言を聞きたくないとき、雑談として気軽な気持ちで読んでもらえると、少しでも楽になると思います。
最後に
まだまだ不登校に対しての世間の目は厳しいですし、学校へ行かなくなったことで保証されている未来なんてありません。ネガティブを力にする当ブログでもなかなか不登校経験を力にするという考えは難しいものです。しかし、学校が原因で自殺している生徒、そこまで行かなくても、世間に絶望してしまう子供が多いのも事実です。
人生の道を作るための学校で道が閉ざされてしまったら本末転倒というもの。
正直に言いましょう。
今の人達、あるいは昔から今に続き、人は教師にも学校にも理想を持ちすぎです。かつて私もそうでした。「いつか救われる」とか、「いつか報われる」と落ち込んでは学校へ行き、落ち込んではまた授業に真剣に取り組むということを繰り返しました。繰り返せるだけ幸運だったかも知れないという気持ちはありますが、じゃあ何が残ったかと言われたら何も残っていませんでした。
残そうとしない限り何も残らないんです。
さらに言えば教える側の負担も大きくなります。教師や学校に期待し過ぎたら、最後に教鞭に立つのは優秀すぎる人、いずれ倒れる人、ごまかす人だけです。そして、間違いなく子供にも命に関わるほどの大きな影響が出ます。
「子供が一番大切」というのならば、学校に何もかも任せるということは大きな矛盾を抱えていると言わざるを得ません。学校が子供を大切にしているとは限らないからです。
生存者バイアス、という言葉があります。一部の生徒だけがうまくいったから、みたいな形で学校、あるいは外道じみた教育の重要性を正当化する動きはやはり少なく有りません。逃げる手段、そして逃げた先をしっかり用意しておくのも人生において立派な訓練になり、不登校はうってつけの訓練になるかも知れませんね。
少なくとも死ぬほどつらい思いをしてまで学校へ行くべきかと言われたら、私だったら絶対嫌とはっきり言いますね。
個人的な意見で申し訳ないですが
命を削られて、全部奪われ続けるぐらいなら、ずっと学校と戦い続ける道を選びたいです。
とはいえ、戦うというのは争うだけではありません。上手く逃げられることも戦いです。
もう一つのテーマ
「他責」ですね。不登校生だけを責めていては問題は解決しません。
コメント