p241(あとがき有り:245)
オススメできる人
- 奇抜な行動が好きな方
- とにかく行動あるのみと思っている方
- 自分には何も才能がないと思っている方
突然ですが皆さん、「人間」の力ってなんだと思いますか?腕力、脚力、学力、財力、権力、視力……少し前だと、鈍感力とか、挫折力なんてものも流行りましたね。
人は多かれ少なかれ、「力」にはやはり憧れがあるものです。自分が持つにしても他人が持つにしても、やはり力という存在惹かれ、焦がれ、そして求めていく……空想でも現実でもよくある光景です。
さて、もう1度私の問を繰り返しますね。「人間」の力ってなんでしょうか?
「言葉を話す?」
よく訓練されたインコはわずかとはいえ、言葉を話せます。そうでなくても、古くからはテープレコーダー、最近はAIなどもありますね。元々が例え人間の言葉だったとしても独立して話していると言えます。
「集団行動でまとまって行動できる?」
魚も軍団で動いて大きな魚に見せかけたりもします。猿はボス猿というリーダーのもと活動しますし、より小さく見ればハチなどは集団行動の塊の生物と言えるでしょう。
「誰かを愛すことができる?」
うーん、詩人的な言葉ですねえ。でも愛は人との間だけで生まれるとは限らな……。
という声が聞こえてきそうなのでそろそろ本題に入りましょう。
言いたかったことは何かというと、人の力というと「人が持つ可能性がある力」を考えがちですが、「何もしなくても人が持っている力」という部分にフォーカスしてみるとどうでしょうか?ということです。
つまり、ただ、いるだけで何かしらのエネルギーが生まれるということです。
「そんなことあるわけないよ」あるいは「そういう力こそ選ばれた人間しか持てないんじゃない?」と思いました?いえいえ、誰にでもあることを証明したのが今回紹介する本です。
かつてないほど前置きが長くなりましたが。
レンタルなんもしない人の活動
依頼があり、交通費だけもらってその人の元へいきます。
そして何もしません。
奢られれば食べますし、最低限の会話もしますし、あるいは一緒に遊ぶ(といってもやりたくないことはやらない)ということはしますが、少なくとも働くとかそうでなくてもちょっとでも大変そうなことは全くしていません。しかも、車に乗りたくないということを始めとして何かと制限が多く、そして謝礼こそもらわないものの、善意的にもらえるものはもらっているのでボランティアというわけではありません。
「誰が頼むんだよ!!」と突っ込みたくなりますが意外や意外、最初は細々とした活動でしたが、徐々にちょっとずつ依頼が増えていきました。
手助けをしてくれるわけでもなく、ためになる話をしてくれるわけでもなく、特別な能力があるわけではなく(少なくとも本を読んだ限りはですが)ただそこにいて人として必要最低限のことをするだけで、多くの人が行動力をましたり決断したり悪いものから吹っ切れたりといった力を持つのです。
これが冒頭で述べた「人の力」というものの一つの形だと私は思います。
twitterやブログで活動した記録を日記形式で紹介しつつ、誰かの質問や頼み事を聞いていくという本です。
遠慮があるようなないような依頼主と遠慮が全く無い「なんもしない人」の珍体験の数々は見ていてクスリとなってしまいそうな行動から思わずうなってしまいそうな活動もあります。
お金は多少動くことはあるもののほとんど関係ありません。ただシンプルに、「何もしなくていいからそこにいてほしい」という願いのためになんもしない人は国分寺駅から活動するのです。
出来るから出来ない 出来ないから出来る
一般論としての話になりますが、恋人なら愛し合えます、家族なら一緒に支え合えます、友達なら一緒に楽しんだり、学んだりすることが出来ます。では、全てに恵まれているならなんの不満もなくすべてを手にすることができるのでしょうか?
そうではありません。
恋人だから秘密にしたい事もあります(やましい話ではなくて)家族だから話せないこともあります。親友だからこそ、一緒にできないこともあるのです。
他人ではない特別な関係にある人達は多くのことが出来るのでしょう。しかし、一方で「大切だから」「関係を壊したくないから」という理由からできないこともあるのです。別にやましいこととか、悪いことでは有りません。誰かと一緒にやりたいことがあるんだけど、ちょっとした気後れや、遠慮、あるいは理由がしょうもなさすぎて知っている人とはできないということはよくよく考えてみれば色々あるものです。
なんもしない人なら大丈夫です。気後れ、遠慮、理由がしょうもないときほど真価を発揮します。もちろんやりたいくないことはやりませんが、それ以外ならただそばにいてやってくれるのです。
どんなに才能があっても、どんな人脈があっても、出来ないことはあるのです。そして逆も言えるのかも知れません。
究極のなんもしない
「それでもけっこう動いているじゃん」「一応活動はしているじゃん」
という声もあるでしょう。しかし後半から驚くべきことが起こります。
なんと「なんもしない人」がどこかに出かけることもなく、本当になんもしなかっただけで何かを決断したり行動できたりする人が現れるのです。
確かに世の中には僅かな言葉、あるいは行動で大きな世の中の流れを作り出す、いわゆる「インフルエンサー」という方々は存在します。
しかし、1でもなく、0.1どころか、0の力でわずかとはいえ人を動かす人なんてまずいません。過去の栄光や実績から誰かを墳きさせることはありますが、まさに現在「何もしていない」人から力をもらえるということは考えてみるとすごいことではないでしょうか?
「なんもしない」ということで秘めた人の本当の力の一端を見た気がします。
総評
人が人として評価されるにはなにかの力が必要という方には是非見てほしい本です。
彼は本当になにもせず、むしろ他の人が勝手にやっているだけですが、それでもいるだけで小さな力かもしれませんが確実に良い方向へ動かしているのです。
彼は対価は受け取っていませんが、何気ない日常のようなあるいは不思議な日常といった経験を重ねているのです。お金も経験も知識も、人が求める力などは何もなかったとしても。
「なんもしない」というのはある種の純粋さであり、だからこそ受け入れられるものも多く、普通では得られないものを得ているのかも知れません。
そして、それこそがまさに本来、誰しもが持つことができる「人の力」なのではないかとなんもしない人の話を聞いて思いました。
「なんもしない」というのはネガティブ感、あるいは無力という形が強いですが、一方で、行動を起こさない混じりけのない0という純粋さこそが、0から人を動かす力になると結論づけました。
まあ、色々難しいことを言いましたが、様々なことをこそぎ落とし、そして最後に残った「なんもしない」人の力、これこそが無条件である「人間」の力なのではないかというのが最初の問に対する私の答えです。
本からネガティブ感や甘えを感じてしまった方、読んで見ればクセになるような「なんもしない」人が見れますよ?
もう一つのテーマ
「未知」ですね。きっと多くのことが「なんもしない」ことから学べます。
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